手遅れ

 偉大なる肌。

 もう随分と誰かに抱かれることもなく、肌の温もりを忘れてしまった貴女。

 久しぶりに誰かに抱かれても、それを心地よいと感じられなくなってしまった貴女はどうして、そんなにも人間であることを辞めてしまったのでしょう。

 いつから。

 雨が降りまして。ずいぶんと降り続けまして。

 貴女はその滴を肌の上に受けまして。

 だらだらとメリハリもなく、古い牛乳のように。

 ああ、何かそういう匂いがする。と。

 あらゆる歴史に憎しみを覚えている。

 あらゆる伝統の破壊を遠巻きに眺めながら微笑み、しかし切なくもなる。

 若い頃には貴女も愛されていました。

 歳を重ねるごとに貴女を愛してくれる人は減っていきます。

 本当はそんなはずはないのですが、あなたの場合はそうなのです。

 本当はそんなことはないのですが、そのように見えるのです。

 永遠を信じられなくなったのは誰のせいだったでしょう。

 これまでに信じてきたあらゆる人、あらゆるもの。

 すべての純粋を、薄氷を踏むように。

 現実、感覚を失って、夢の上を歩くように、砂つぶが素足にまとわりつくように。貴女は歩いている。長い長いと言いながら。辛い辛いと嘆きながら。シロップのように甘く、しかし手につくとねっとりと、余計な汚いものまで連れてくる。その上にそこに残る。残り続ける。誰の残滓ですか、それは。

 涙の味を誰かに知ってほしいのに。

 そのために流れる

 そういうはずのものなのに。

 移動中の電車の中で、景色が流れる

 窓の外から流れ込んできた情報が、目の前に再構成される。

 想い出があふれる。

 一人きりの幻想に寒気を覚える。

 ドアが開く。一歩踏み出す。無人島のような駅のホームに。

 家までの一本道の途中で無数の嘘たちが誘惑してくる。

 貴女はそのどれか一つをいつの間にか選んでいる。

 明日からの生活はそのように穢れていくだろう。

 貴女はそのように毎日を少しずつ、ずらしていくのだ。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 知らないうちにそして貴女は貴女でなくなり、いつかそっと恐怖する。

 もう手遅れだ。