自分が詩を書くタイミングというのをよく考える。
10月11日に僕はこう書いた。
一つの華美が華美を呼び
取り返しのない革命が起きる
時にそれは血を流しながら
常にそれは車輪のように
ほとんど予言のようなフレーズだ。
事態はそこまで必然に迫っていたように思える。
そこまでは僕にもわかっていたのだ。
僕はその血と車輪に永遠に付き合っていくだろうと思っていた。
そして事実そうなろうとはしている。
しかし。
永遠に付き合っていく覚悟はあったが、唐突に突き付けられる準備はなかった。
革命は突然に起きる。
ただしその準備は既に周到に行われている。
そのことがわからなかったのだ。
そして僕は10月23日を最後にしばらく詩を書くことができなかった。
それにはしっかりと理由がある。
おそらく、散文をつくるほうが急務だったからだ。
生活の一大事において詩はつくる必要がなかった。
そこにおいて僕は散文家なのだろう。
それでは詩人としての僕はどこにいるのだろう。
占いのようなものではないかと思う。
わからない時に、お伺いを立てる。
神託のような。
インスピレーションの答えを、文字によって得る。
そういうことなので、生活の一大事には、そこに頼るのは危ないのである。
一応生活のほうは安定してきた。
あとは精神を安定させるだけだから、そろそろ少しずつ詩を書いていく。
と思う。