メモ やがて消すぞ。

 夜麻みゆき『レヴァリアース』を再読した。

 もう何年も読んでいなかったのは、「泣いてしまうから」。同じ理由で再読を控えている人はたぶん世の中にゴマンといる。「何度も読んでいるから感動なんかしないんじゃないか」「今読んだって別に泣いたりはしないんじゃないか」といつも読む前に思うんだけど、結局ぼろっぼろに号泣して、顔中涙だらけになる。僕にとって本当に特別な作品だ。

『レヴァリアース』は94年から96年にかけて連載された作品で、僕が読んだのは96年、小学6年生で、夜麻先生が『刻の大地』を連載し始めてまもない頃だった。

 当時の僕は一人きりの部屋の中で、興奮して、そして最後には嗚咽して泣いていた。漫画と言わず何と言わず、一つの「作品」にふれてあんなに泣いたのは初めてだったと思う。僕は基本的に「泣ける」「泣けない」で作品を評価するなんてのは嫌いだが、この『レヴァリアース』に関しては、当時は「泣いてしまった」という評価しかできなかった。もちろん、面白いなと思った要素や場面はいくらでもあったのだが、とにかく最後に残ったのは「泣いてしまった」だった。

 でも、なぜ泣いてしまったのかはわからなった。ただ、わけのわからない気持ちになっていた。たぶん、発狂していた。悪く言えば僕の心は壊されてしまった。作品の中である人物が「死」なるものに初めて向き合うというシーンがあるのだが、僕も同じだったのだ。死と向き合ったことがなかったのだ。身近なものの「死」に接したことのなかった僕は、それで初めて大切な人の死と向き合ったようなものだった。僕はとことん、二次元に住んでいたんだなあと思う。生身の人間とはあまり協調性がなかった。なかったから、むりやり協調性を開発していって、人付き合いはむしろそれなりにうまくはなったけど、そのころはまだまだ、アニメや漫画や小説とつきあっていくほうがずっと楽だった。

 で、ずーっと僕は、「だから自分は『レヴァリアース』という作品にはまってしまった」と思っていたし、だから『レヴァリアース』を読むことは、「大切な人の死」を追体験することでしかなかった。だから軽はずみには読めなかった。冗談でなく、東京に引っ越してから、つまりこの6~7年間は一度も読んでなかったのではないかと思う。愛蔵版が出た時(98年)には読んだはずだが、それ以外ははっきりとした記憶がない。とにかく読むたびに本当に、比喩でなく精神崩壊していた。

 通して読んだ回数はさほど多くはないのだが、読めないのは3巻だけなので、1~2巻は死ぬほど読んだかもしれない。読み返して驚いたのは、前半の内容はセリフの一つ一つまでほとんど覚えていたにも関わらず、終盤には覚えていない箇所がいくつかあったこと。それと、「自分が『レヴァリアース』にはまった本当の理由」がわかってしまったこと。

 なんのことはない、『レヴァリアース』に書かれていることは、今の僕の思想そのものだったのだ。そして今読んでも面白いということは、当時からずーっと、僕は同じ思想を持っていたのだ。『レヴァリアース』に書かれていることは、僕が昔から変わらず好きであるほかの作品とも共通している。

 それがどういう「思想」であるかは、とてもここに書き記せたものではない。いつかまとまった形で著そうと思っている。しかし、当時の未熟な頭ではわからなかった(言葉にできなかった)が、『レヴァリアース』には本当に大事なことが書き込まれているし、物語の完成度も非常に高い。僕はずっと『レヴァリアース』を、完成度としてはあまり高くない(ゆえにあまり他人にすすめられない)作品だと思っていたのだが、それは表面上、物語に欠落や謎が多すぎるというだけのことであって、少なくとも登場人物の内面の描かれ方だけに絞ってみると、ほとんど完璧だったのである。だからこそ僕は、いや多くの読者は『レヴァリアース』に感情移入し、ラストシーンには泣き崩れてしまうわけなのだ。

 そういうわけで今、もしかしたら初めて『レヴァリアース』を本気で人にすすめる。読んでください。これは僕の思想です。僕のことが好きで「結婚したい」と思っているような女の子は、夜麻先生の『レヴァリアース』と、天野こずえの『浪漫倶楽部』を読まなくてはいけない。もちろんほかにもそういう作品はたくさんあるが、エニックス絡みの作品で二つ挙げるならどうしてもこれだ。

「一流の漫画読み」のみなさんがどう判断するかわからないのだが、僕は本当に夜麻先生の作ったこの世界(オッツ・キイム)を愛しているし、ウリックもシオンも二人の関係も大好きだ。作品にこめられた思想も、読者への問いかけも、すべてすばらしい。魔法使い(ウィザード)と僧侶(クレリック)の対立についてウリックが言った言葉は現代に生きる僕たちは強くかみしめて生きていかなければならないし、シオンとイールズオーヴァの対話は『逆襲のシャア』におけるアムロとシャアの論争に匹敵するほど意味のあるものだと思う。

 こんなことを長々と書いても仕方がない。もっと具体的なことは、いずれ原稿用紙数十枚か、ひょっとしたら百枚近いものになるかもしれないけど、まとめて書く。くれぐれも「それを読んでから単行本を読もう」なんて思わないように(思う人がいるんだ、これが)。だって何年後になるんだかわからないのですもの……。

使わなかった文章:

『レヴァリ』は異世界ファンタジーである。剣と魔法の世界で二人の少年(ウリックとシオン)がディアボロスという邪竜を倒しにいくという筋である。魔物がいっぱい出てくるのであって、戦闘シーンもたくさんあって、しかもたったの3巻で終わるのである。大陸や国や町や神々などにはキッチリと名前がついていて、一般名詞の漢字にカタカナであまり一般的でないルビが振ってあったりするのである(例:「基盤」にイエソド、「勝利」にネツアク)。実に硬派というか、王道なオリジナル・ファンタジーなのである。夜麻先生は極度の設定マニアなのである。