僕が詩の中でしたくないと思っているのは、暗号化。本当に言いたいこと、意味を詩にぼかすこと。言いたいけど隠したい、そのどちらの欲求をも叶えるために、詩の形式を利用すること。そういうのはできるだけ避けてやってきた。意味の拒絶。そのあまりまったくわけのわからないものを最初のうちは書いていた。2002〜4年くらいの詩に顕著だと思う。
しかし佐藤春夫は詩集『魔女』の題言にこう言う。
魔女め
魔法で
おれの詩形を
歪めをつた!
ハハハ、そうだそういうことならば致し方ない。歪ませるほどの何かのためには、あえて歪ませねばならぬこともある。途轍もなく巨大な意味の前に無意味は無力で、詩にできるのはせいぜいそれをまさに「歪ませる」ということくらいなのだ。
僕の周囲には無数に魔女がいる。外形は問わず。形などないような魔女もいるだろう。
そのようなものたちのために僕は時に意味を受け入れ歪ませここに記す。
薔薇のような髪の人。そんな一言のためにこの文章はある。
これはこれ悉く
シィンをカットされて
タイトルばかり
殘し蒐められた
一卷のフィルムである
檢閲は美學の立場を無視して
羞恥の鋏で行はれた
同詩集の「はしがき」である。僕はひたすらにタイトルを歌おう。