少年Aの散歩

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『この世界の片隅に』追記/犯人捜しはたいてい失礼

 創作物……とりわけ複数の制作者によるものや、制作者以外の資本が関わっているものは、必ずしも制作者のやりたいようにやれるわけではないし、制作者が作りたいものを好きに作れるわけでもない。年を取って、制作側のプロとして活躍している友人・知人が増えてくると、そのような話を生々しく話して頂ける機会がけっこうあり、軽はずみにものを言うのが憚られてくる。
 つまり、「いろいろと事情はある」のだ。
この世界の片隅に』にしても、はじめは2時間30分くらいあった絵コンテを、予算の都合で削り、現状の長さ(126分)になったという話を耳にした。(ロフトプラスワンのイベントで監督が仰ったらしい。)
 もしも映画の描写に「不十分」と感じる部分があるとすれば、その「削らざるをえなかった24分間」のせいなのかもしれない。
 コンテを作った段階では表現するはずだったものが、完成品では表現できない。それはじつにやるせないだろう。歯がゆいのは制作側だって同じなのに、観客から「不十分だ」などと言われるのは、どうも噛み合っていない。
(実際には、そんな声はあまり聞かれていないと思うから、「24分間」の処理が巧みだったということだろう。)

 このことは一例にすぎない。他にもいろんな種類の事情があって、作品は作品として世に出される。それで結果、駄作となったり、欠陥があったとして、誰が「悪い」のかは、すべての事情を把握しない限り、わからない。だから憶測で「監督が悪い」だの「脚本家が悪い」だのを言うのは、邪推でしかなかろう。
 いち享受者としては、「良いものを良いと言う」くらいのことしかできなくて、どうしても何かを言いたいのであれば、せいぜい「できる限り誠実に作品を批評する」ということくらいで、「犯人捜し」をするのは、たいてい誰かに対して失礼である。

「自戒を込めて」と言ってすべてを許してもらおうという態度(あるいはその風潮)もイヤなものなのだが、ともすれば忘れてしまいがちなことなので、書き添えておきます。

 

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