少年Aの散歩

<a href="http://ozakit.o.oo7.jp/">本館はこちら</a>

いまの流行語は「大人」

「大人」という単語が、不思議な使われ方をしている。
 お気付きだろうか?
 芸能関連でよく聞く。
「それは大人が決めたことだから」とか、「大人が悪いんだよ」とか。

 あるアイドルグループのメンバーがテレビに出て、ちょっと過激な発言をして、芸人にこう突っ込まれたとする。「あなたアイドルなのに、そんな発言して大丈夫なの?」そうすると、アイドルはこう答える。「ああっ。また大人のひとに怒られちゃう……!」
 ここでいう「大人」とは、アイドルグループを運営するスタッフとか、所属事務所の人とか、ひょっとしたらテレビ局の人とか、をさすのであろう。
 ただ、そのアイドルは平気で二十歳を過ぎていたりするのである。
 不思議だ。
 最近だと、四十代のある芸人の方が、同じようなニュアンスで「大人」という言葉を使っていた。(確かナイナイの岡村さんがラジオで言っていたのだと思う。少し若い世代ではオードリーの若林さんなんかも『しくじり先生』で言ってたかな。)
 自分は「子ども」だとでも言うのだろうか?
 たぶんそういうわけでもなくて、ここでは「支配する側」のことを「大人」と呼んでおり、そうではない自分たちと、明確に区別しているのだ。
 支配者とも、権力者とも言えないから、「大人」。
 自分たちとは関係のないところで、小さなことから大きなことまで、あらゆることを決定している人たち。

 レコード大賞を誰が取るのか、ということを考えているのも、「大人」である。
 レコ大の「審査員」を指して言うのではない。そればかりか、彼らが含まれるかどうかも、よくわからない。「芸能界でお金を握っていて、いろいろな決定権を持つ人たち」がレコード大賞の結果を左右していることはもう明らかなので、そういう人たちを「大人」と僕はいま呼んだ。
 広義では、そういう人たちの手先というか、そういう人たちの影響力の及ぶ、あらゆる体制側(!)の人たちが、たぶん「大人」と呼ばれていて、今や当たり前のようにつかわれている。
 芸能界においてタレントは原則として「駒」にすぎず、それを操っているのは「大人」だというわけで、もはやそのことを誰も隠さなくなっている。その象徴が、今や芸能人たちが当たり前のように使う「大人」という語、なんではないかな。

 芸能界以外でも、「大人」という言葉は使われている。
 あるドキュメンタリー映画で、自民党の集まりか何かにカメラを持って入って行ったら、止められて、こんなことを言われたのだそうだ。「あんたあれでしょ、表現の自由とか言いたいのかもしれないけど、今は大人の話だから」と、ピシャリ。
 憲法よりも優先される、「大人」の話。
「大人」という語が、「支配する側」という意味で使われた(と解釈可能な)例の一つだ。

 大人というのは、どうもそういうものになってしまった。
 裏を返せば、「大人にならない」という選択肢が、それだけ一般的になってきたということなのではないだろうか。
 芸能人なんかは、本当にわかりやすく、「大人ではない」と自認していそうな存在だ。毎日決まった時間に出勤するわけでなく、定時があるわけでもない。そして、業界や自分というタレントを支配する存在(事務所やテレビ局など)のさじ加減一つで、干されたり、急に売れたりする。
 自分の力では、どうにもならない。誰かの意図のままに、駒として動き続ける。その無力感のようなものを、一語に落とし込んだのが、「大人」ではないかと思う。

 この気分が社会全体に広がっていくのが、「格差社会」というもんなのかも。
 非正規雇用者から見た正規雇用者は、「大人」に見えるかもしれない。
 そう、非正規雇用は「大人ではない」。おそらく、気分として。
 正社員であっても、会社の都合でリストラや異動、給料などが勝手に決まるなら、決める側を「大人」と呼んで区別したくもなるだろう。そういう会社においては、従業員はみな「大人ではない」といえるかもしれない。
 ひょっとしたら企業でも、偉い人たち同士の会議や談合とかで決まることを、「大人の決定」とか言うようになるかもしれない。(もうすでに言っているかも?)
 支配者のことを、被支配者側からみて「大人」と言うなら、ありそうな話だ。

 大人というのがたとえば、経済的に自立している存在を言うのであれば、事務所に左右される芸能人も、不安定な非正規労働者も、たしかに「大人」ではない、のかもしれない。
 そういう人たちが増えてきたとすれば、「大人」という語が「大人ではない」人たちと区別するために使われるようになるのも、頷ける。

 かつて(明治以降を主に想定)、日本の支配構造は基本的に「家族の相似」だったと思う。支配者というのはみんな父親に相当する存在だ。天皇だとか、給料をくれる雇用主。仕えていれば、生涯が担保された。そんな状況において、「大人――大人じゃない」を考える必要は生じない。「父親にあたる存在」が大人で、それ以外は大人じゃないのだから、その公式に当てはめれば考えるまでもない。ところが、「誰が大人で、誰が大人じゃないか」の判断が複雑になってしまうと、いちいち「大人」という語を使ってその都度再定義していかなくてはならなくなる。
 いま「大人」と呼ばれている人たちは、ぜんぜん父親ではない。そのトップにいる人が父親に相当するか、というと、そもそも誰がトップなのかもよくわからない。家族が壊れつつある現代には、その相似形もほとんど機能していないのである。ぜんぜん別の支配者が、どうやらどこかにはいて、でもそれが誰なのかはよくわからないから、「大人」と言うしかない。(『うさぎ!』の「灰色」と、少し似ている。)
 どうも、上層部に雲がかかり、見えなくなってきた感じ。
 昔から「上層部」なるものはあったのかもしれないが、庶民にはそれがわからなかった。今は、存在自体は認知されている。また、上層部が複雑になってきたのは、確かだと思う。昔なら望遠鏡を使えばどうにか見えたものが、今や見えたところで、複雑すぎてわけがわからない。そこへまばらに雲がかかる。もうだめだ。理解不能。ガガー、ピーピー。
 だからもう、そのぎりぎり認知できている存在に、名前をつけてみることくらいしかできない。「大人」という言葉が、それなのかもしれない。

「大人」という語を使って自分たちと「上層部」を区別するのは、もちろん下層の人間である。芸能界でいえばタレントが下層にいて、だから彼らは無力ながらも「大人」のことを考え、その語を操っていく。タレントだけでなく、下層にあればスタッフでも一緒だろう。
 アウトロー界にあっても、「大人」は存在しそうだ。特殊詐欺でいえば、受け子や出し子、かけ子等は下層である。自分たちは駒でしかなく、リスクのほとんどを背負い、利益の大半は上層部に持って行かれる。そのくせトップの顔は見えない。
 だから「大人」とか、そういう言葉を使うしかないのだと思う。(犯罪集団の上層部に「大人」はさすがにそぐわないかな?)

 この「大人」という言葉の台頭を、どう見よう。
 絶望とも、希望とも見える。
 ジャニーズ事務所やレコ大の話を見ていると、少なくとも芸能界では、それは「暴かれる」ほうへ進んでいるような気はする。

 

http://ozakit.o.oo7.jp/