少年Aの散歩

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原因はいくつもある/繊細な柔軟性

「自分のせい」と思いがちな人は、「物事の原因は明確に一つに定まる」という根本的な誤謬を抱えている。どんなことにでも「せい」と言えるような原因がたった一つある、と。
 実際は、物事の原因というのは無数の「事情」が複雑に絡み合ってできあがっていて、「これ」という明確な、たった一つの原因が存在するわけではない、はずである、と僕は思う。自分のせいでもあれば相手のせいでもあり、あるいはほかの無数の何かしらのせいでもある。
 問題解決というのは、無数にある原因のうち、たった一つだけを選び、摘出し、改善を試みるものである。「ここさえ改善されれば、少なくともこのように是正されるであろう」という見通しを持って、「目的に照らして急所と思えるようなところ」のみを、ズブリと一点、刺し貫く。決して、「ただ一つの原因」を取り除くことではない。ただ一つの原因など、ないのである。
 ゆえに、無数の原因のうち、一点だけを責め立てるのは愚かなること。かしこき人格者は物事を「人のせい」にしないし、また「自分のせい」にもしない。「何か特定のもののせい」にはしない。ただ、「この問題を是正するにはいくつもの方法があって、実現可能性とコストを勘案すると効果のありそうなのは例えばこうすることだ」とかいった提案をする。
 客観性とか冷静さというのはそういったところに現れる。
 

 最近生徒から、「先生たちはわけのわからないところでキレる、どうにかしてほしい」というような話をよく聞く。わけのわからないところでキレる先生もどうかしているが、それを「わけのわからない」と断定してしまう生徒にも、客観性と冷静さが欠けている。あるかしこき生徒は、「長い間にたまってきたものが爆発してるんだと思う、うちだけじゃなくてほかのクラスでたまったものも含めて。それを一気にここで爆発させてるんだろうな」なんてことを言っていた。冷静である。
 僕は他人の行動に対して寛容なほうだと思うが、その代わり自分に対しても寛容である。他人に甘く自分にも甘い。甘いというよりも、「原因はいろいろあるんだから、何か一つだけを責めるのはお門違い。僕は僕で反省していくけど、改善すべきところはほかにもあるはずだから、落ちこまず視野を広く持って事に当たるほうがよかろう」といった、前向きな言い訳を常にしているのである。それでなんとか、教員とかいうストレスフルな職業をなんとかこなしているわけだ。そういうある種の強さがなければ、繊細さを保ったまま教壇に立ち続けることは難しいだろう。
 僕は、図太くなったらこの職業は終わりだと思っている。開き直ったら絶対にだめ。「自分が正しい、生徒はそれを聞いていればよい」と思っても、もうだめ。いやね、もちろんね、組織の職務を正しく全うする身としてはそのほうが正しいし、そうでなければ心の平穏は保てないって人もきっとたくさんいる。でも、そういうのはわざわざ僕がやることではない。ほかの人でもできることだ。そうなるようなら、そうならざるをえないようなら、覚悟して職を辞そう。どうもそういう生き方しかできないし、そうであることが僕にできるせいぜい教育的な生き様なのだ……。
 繊細な柔軟性が示せなくなってしまったら、頑固な職人になってしまう。そういう先生も必要であろうが、僕の適性はたぶん別にある。

 

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