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少年Aの散歩

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『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』砂田弘/高橋透

『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』砂田弘 作 高橋透
偕成社、1983年5月改訂版)

 

 僕の通っていた幼稚園には、図書の貸出制度があって、それで何度も何度も、飽きるほど借りていたのがこの本だった。

 好きな絵本はほかにも、それはもう無数にあったはずなんだけど、「好きだ」と意識したのはこれが初めだったと思う。今ではもう、なぜそんなに好きだったのかわからない。読み返してみても、さほど面白いストーリーだというわけではない。

 救急車の「ぴぽくん」は、町の人からうるさいと嫌われたり、怖がられたりしている。「いつまでも ねないでいると、きゅうきゅうに つれていかれますよ!」などと、子供を叱るときの脅し文句にさえされた。しかし幼稚園の男の子、特にマサシくんはぴぽくんが大好きで、「ぼく、おおきくなったら、きゅうきゅうの うんてんしゅに なるんだ!」とまで宣言していた。
 ある日マサシくんが無免許運転のトラックに轢かれてしまう。それからはマサシくんの家も幼稚園もひっそりとして声ひとつ聞こえない。「マサシくんも、こどもたちも、あれから ぼくが きらいに なったんじゃ ないのかな」とぴぽくんは不自然なほどネガティブな発想におちいる。ぴぽくんはもちろん、何も悪いことはしていない。それどころか、事故現場に急いでかけつけて、マサシくんを病院まで運んであげたのだ。しかしぴぽくんはふさぎこむ。仕事にもつかれてしまう。一所懸命働いても、ねぎらってくれる人は誰もいない。
 季節が巡り、秋が来て、夏の間に汚れたからだをぴぽくんは救急隊員に洗ってもらう。
「いっしょうけんめい はたらいたから こんなに なったんだ。それなのに ぼくは、ひとりぼっちだ。ああ、もう はたらくのが いやに なったな。」
 ぴぽくんはこれほどまでに追い込まれていたのだ。
 ところがそこへ、子供たちがだだだだだっと駆けてくる。

 

「いた いた いたぞ!」
 こどもたちが おおぜい かけてきました。
てにてに えをかいた かみを もっています。
みんな ぴぽくんの えでした。
「ぴぽくんが ぼくを たすけてくれたの。
だから おともだちと いっしょに おれいに きたんだ。」
 うわぎに きゅうきゅうしゃの ししゅうをした こが
いいました。そう マサシくんです。
「ぼく、なつの あいだ、いなかの おじさんの うちへ
あそびに いっていたの。
みて、こんなに くろく なっちゃった。」


 それからぴぽくんは元気になりました、めでたしめでたし。

 という、お話。
 事故のあと、マサシくんのお家に誰もいなかったのは、一家で親戚の家に行っていたからで、幼稚園がひっそりとしていたのは、夏休みだったから。(幼稚園には小学校と同じくらいの長さの夏休みがある。)
 ぴぽくんは勝手に気にして、勝手に落ちこんでいたわけだ。

 いったい、僕はこの絵本のどこに惹かれていたのだろうか。
 救急車が特別に好きになったわけではないと思う。むしろ『ぴぽくん』を読んでから好意を持ち始めたというほうが当たっているはずだ。
 正直言って、本当によくわからない。
 わからないなりに幼い自分の気分を当て推量してみると、僕はこの作品に描かれた「絶望と希望」というモチーフに惹かれたのかもしれない。
 絶望と希望。さらに言うならば、絶望の中の希望。
 あるいは、「悪いこともあればいいこともある」ということ。
 ちょっとした運命論のようなもの。

ドラえもん』の「サイオー馬」(てんコミ44巻)という話で、ドラえもんがこう言う。「いいかね、運命なんてものはこのナワのように……、いいこと悪いことがからみあっているんだ。気を落とさずまってれば、そのうちいいこともあるさ。」
 44巻を読んだのは小学校三年生の時(当時新刊で買ったから間違いない)なのだが、とにかくこの話が心に残った。いいことと悪いことはちょうど同じくらいあるのだ、とうっすら信じるようになった。今でも多少、その名残がある。

 ぴぽくんは落ちこむけれども、がんばって働いていたら、子供たちが似顔絵(?)を持って、やってきてくれる。なんという希望に満ちた話だろうか。


 11年間AKB48グループを牽引し、今年4月に卒業した「総監督」(当時)の高橋みなみさんは、去年6月の、最後の総選挙で、このようにスピーチをした。

みんな悩むと思うんです。
でもね、未来は今なんです。今を頑張らないと、未来はないということ。
頑張り続けることが、難しいことだって、すごくわかってます。
でも、頑張らないと始まらないんだってことをみんなには忘れないで欲しいんです。
私は毎年、「努力は必ず報われると、私、高橋みなみは、人生をもって証明します」と言ってきました。
「努力は必ず報われるとは限らない」。そんなのわかってます。でもね私は思います。
頑張っている人が報われて欲しい。
だから、みんな目標があると思うし夢があると思うんだけど、その頑張りがいつ報われるとかいつ評価されるのかとかわからないんだよ。
わからない道を歩き続けなきゃいけないの。
きついけどさ、誰も見ていないとか思わないで欲しいんです。
絶対ね、ファンの人は見ててくれる。
これだけは、私はAKB人生で一番言い切れることです。
だから、あきらめないでね。


 努力、という言葉は、あるいは概念は、個人的にあまり好きではないのだが、「この言葉を使わなくては表現できない素晴らしいこと」はやはりあって、高橋みなみさんのこのスピーチはそれだった。

 努力が必ず報われるとは限らない。
 しかし、「見ていてくれる人は必ずいる」。

 ぴぽくんにとって、マサシくんやこどもたちがそうだった。
 それは希望である。どんな絶望に深く沈んでも、必ず見ててくれる人はいる。
「報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」(H Jungle with T『FRIENDSHIP』)である。
 この曲に出会ったのは小学六年生の時だが、実はまったく同じメッセージを僕は、幼稚園のときすでに『ぴぽくん』から受け取っていたのかもしれない。

 落ちこむこともある。しかもぴぽくんのように、ぜんぜん落ちこむ必要のないようなときに、どうしても元気が出なくなってしまって、悪いことばかり考えてしまうことが、ある。マサシくんがぴぽくんのことを嫌いになるなんて、あるわけがないのに、でも、そうかもしれない、と考えてしまう。それはしかたのないことだ。
 でも、そこで腐りきらないで、「優しさを手抜き」しないこと。ぴぽくんの場合は、けがや病気の人を助けることを、やめないこと。誰にも褒められなくたって、黙々と続けていくこと。
 そういうぴぽくんだったから、子供たちはやってきたのだし、だからこそこの物語は美しいのだ。


 絶望に負けてはいけない、諦めてはいけない。
 優しさを持ち続けていれば、いつかいいことを呼び寄せることができる。
 そういうことを、本当にいちばん最初に「本」から学べた(らしい)ことは、とても幸福だったと思う。
 それからずっと、本が好きである。

 

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