硫酸とナトリウム

コンディションで

絶品

社会は治らない

騒動は呼吸

 

これ以上書くとだいぶ個人的な領域になってしまうのだが

仕方ない

 

不自然は

慣習にならうもの

本質は肉体に宿る

自由は決して

文化ではない

 

無限とは憧れのこと

有限とは幸せのこと

永遠とは

選び取ることである

 

離れがたいと思われるものが

分かたれていく

それは小さな革命である

 

時間はものごとを分ける力で

宇宙の誕生からこのかた

何も合わさってなどいないのだ

二人が手を繋いだとき

二人は決して消えることなく

かわりに何かが生まれるのだから

 

硫酸とナトリウムだって同じ

 

自然とは時間に委ねること

別れていくこと

千切れ ばらばらになって 朽ち果てて

粉々になる

消えるくらい散らばっていくこと

 

さようなら哲学

宗教

世の中の心

これにてすべてを覆す

ギターにつけて音変えるやつ

ニッカポッカ着て日暮里でポカリ

ポカリでポカリ

仲間と喧嘩

それが俺の日課

夜はブラックニッカ

ぽっかり空いた胸の穴

満たす缶コーヒーはポッカ

ポッカは名古屋

ニッカリポカポカ

あたたかい市

日進町もいま日進市

日進月歩

町は市になる

人は死ぬ

ポックリと逝く

日刊工業新聞に載る

密には柳葉魚2017 -指環-

ハイパー トニック

ハイパー トニック

ユー アー スペシャル ベアナッコー

アーメン チルマン

どうもう

煎餅(せんべい)

 

読(よ)み仮名(がな)

 

オーケストラ玄関

ボンタン シャキッと 出勤魔

お前そんなに会社に行くなよ

死んでも知らんぞ

アー ソラミタカ 合掌

 

ぼんやり空を見て落下

ボンタン シャキッと 出金しますか

お前そんなにパチンコ行くと

玉が出るぞ お前の口から 無限に そしたら どうするんだ

いいのか

 

デーダマー

悪魔と

ビーダマン

殴り合っているのを

横目に僕は背広を質に入れ

ギターを買って弾く

夜明けは近い 夜明けは近い

アー そうだ 明日から ライブがあるんだ あいつのライブ

生きているのか 死んでいるのか

果てしない議論の果てに

何があるのか それはね みんなの笑顔

 

ニッカリ ポッカリ

日暮里 ポカリ

ボカリ

ビーダマンの圧勝

悪魔 デビル 見る影もなく 縮小し

塩をかけられたナメクジのように

ゼロだ ゼロに向かえ そこには何もなく

宇宙の法則を知るすべだけが

わら半紙にサインペンで

 

ウワー 犬がいるぞ

叩け 叩け 掘り出せ それはたぶん パール

犬のしっぽをつかめ ビーダマン

胸に入れよ

そして弾きだせ それはパール

圧縮された生命

魂のことだ わかるかね

 

厳密には柳葉魚(ししゃも)

読(よ)み仮名(がな)

そのカッコの中にあるものをすべて捨てろ

いつまで頼っている

補助輪をはずせ

自分の頭で考えろ

読み仮名世代は滅びなさい

ふりがな世代に変わりなさい

ルビーの指輪は何週連続

トップだったと思ってるんだ

馴染まれと

ありがとう

そして尊き良き時

あるいは未来

最高と交わす酒

君はどのくらい飲むのでしょうか


幸いの

そこのカフェ

われらになじまれ


「酔っ手羽」という店が例えば

「山ちゃん」という店が例えば

「鳥貴族」という店が例えば

そうであるように

いつかなじまれ


雫が湖となったのを

今知った

足が濡れている

心地よくとも

座るわけなく

天に雨を乞う

ゆたかなれ

まざれまざれと

われらになじまれ

光あれよと


見つめた先に

髪は香る

生まれたままに

わきたつ

わきたつ

巻いた渦

ゆるまるように散る

祈り


ありがとう

未来におめでとう

さようなら

僕は消えない

うすまっていけ

ゆるまっていこう

記憶のように

雫のこと

われらは涙を流し続ける

湖がいつか球体となって

君の立つ大地を浮きぼらせるまで

あなたが宇宙に組み込まれるまで


ぼくらの足首がずっと一緒に

同じ高さに浸かるなら

座るわけなく

歩くだろう

歩いているのをたまに見るだろう


愛情はもう何年も

育つあなたとともにある

すこやかにまざれ

けがれても

この湖に帰っておいで


お酒を飲もう

散歩をしよう

真夜中はみんな秘密

まざれまざれ

ここになじまれ


ブランコにのろう


ずっと続く

ずっとなかよし

ずっと美しい

たのしくたのしく

心地よく

でも手触りは何もない


きらめいた君と

大きく息を吸い込んだ

暗闇はつめたく

そのまま記憶に張り付いた

たった一瞬のできごとだった

博愛て死ぬ

毎日毎日いろんな人から

ほんの少しずつ裏切られていく

たくさんの絶望

だんだん切り取られて

空っぽさ

 

菜の花から油を搾り取られるかのごとく

美しく燃えて食べ物に彩りを添える

みんなの生活に降りていく輝きは

僕らの涙が原料です

 

そうだから死にたいと願い

消えてしまいたいと願い

殺してくれと願い

ヘルプをヘルプを欲しがって生きていく

 

一度きりの人生のなか

永遠の苦しみに

いかがな虹かと

 

怒号響くサントリーホール

英字新聞のでたらめな言語

地震が全てをひっくり返した

揺れては揺れては諦めて生きていく

君のいない

君と呼びたい

不在

 

月光を片手に神は歩く

余り物のシート状の何か食べるものを配って

みんなの飢えを照らしては笑顔を与えている

 

お母さんお父さんとの思い出を

いきとしいけるすべてのあらゆる人たちにあげるよ

僕の思い出を全部みんなにあげるからだから

死ぬ

散々だ

毎日こんなに幸福なのに

どうしてこんなにつらいのか

天国の生えた土の下

地獄が埋まってる


今日のあなたは優しいけれど

明日は誰にもわからない

わたしを殺して彼も殺して

一人で生きていく


頭のおかしい天気屋さんを

かついで涙の大盛り上がりを

張り切りすぎて町内のうわさ

魔界のしたたるみずしるべ


穴だらけ

柏木の罪深き

ヨロイをかなぐりすてるには

かなりの勇気とほどほどの器

木漏れ日の下で玄関を


ちらほらこまごまコリアンダー

ボーダーの忌引きは嘘まみれ

悲しくて死にたくなるけれど

やめられない


つぎつぎに崩れていく小学校

ついに僕らも廃校に

懐かしむ僕の微笑みをよそに

みんなニタニタ嘔吐


どうぞよろしく明日の準備を

毎日毎日ごくろうさん

目を舐める

ただ君を大切に思うので

その傷をずっとなめていたい

ちいさなあめ玉の心を

だんだんとかして飲み込んでいこう

 

血は苦手です

注射も嫌いです

林檎のように切り刻まれて

あふれ出るのは仕方ないのです

 

それを湖だとしてそこで泣く

桟橋に腰かけて山を見る

足は冷たく

頭には朝露が降りる

 

かすみが傷を包む

透明に美しくラッピングする

立ち止まっても踊ってるように

心臓は活発にうずく

 

流れていく

あるいは水玉のように

うたかたのように

シャボンのように

 

涙のように

僕らはお互い知らないうちに

つらい思いをそれぞれしていて

人を殴ったり腕を切ったり

 

言葉をどこかに書き綴ったり

お茶を飲むくらいで済むならいいのに

だから出会った時

もう僕は言った

 

君はどうだ? あれから少しは落ち着いたなら

ゆっくりまたえびせんべいでもかじりながら

金持ちの君んちのあの二階の応接室で

将棋でも指すような距離で向き合って

 

まだ何もなかった頃のように

これから何かがあるかのように

そうだ夏の日の畳のうえで

冷えた足だけを重ねていよう

 

愛しているのは君だけでなく

その時を

成り立たせていたすべてのものだ

そのくらい僕はあの瞬間が好きだったのだ

 

味のないあめ玉を少しずつ溶かす

それがあの時の君の肌の味であるならば

それが傷ついた君の心であるならば

それが抱きしめることと何も変わらないのなら

 

何もない口の中に君を浮かべる

ころころと考えてみる

少しもの悲しい香り

最も美しい天気は絶対に

 

あの日

僕は死にそうだ

コーラの色さえ疑わしくて

すべて嘘だと夜に叫ぶ

自転車で走れば僕の手も足も

風を切る頬もとても愛しくて

生きている!

みなぎる力に命を知るけど

それだって僕も手も足も空中に浮いているだけで

風を切る頬も何だって同じで

地球からすら見放されている

ほとんど孤独の証明のようで

だからやけくそに身体が内から

生きている! 生きている!

涙が口からあふれ出て落ちる

僕は死にそうだ

紗希

薄塩のポカリ

汗をかいたワイングラス

小さく泣く空の声

荒廃しきって誰にも会いたくない

 

くたびれた身体から疲労がなかなか抜けていかない

嘆く人々

足元に闇が沈殿する

 

仮眠室の女と

文通する

 

愛という場面をお手軽に

書き割りの前で記念写真

月の満ち欠けをストップウォッチで

ちょうどのところで子供を起こして

 

夕陽が落ちたら困るのだ

夜中に水は搾り取られる

昼間はただ部屋の中

警察も眠ってる

ようこそ

永遠

眠気と同じ

歩く星と足音の夜

愛した人の残像のスタンプ

LINEで送られてきます

変わっていることの心地よさ

 

降りてくる

梅雨どきを見はからう

そういえばもう生まれて何年

ようこそ

さよなら

ようこそ

ばいばい

 

暑い日も寒い日も

何かにつけて思い出し

苦くもなく甘くもない

いとしさ

時間を抱きしめているのです

 

辛かったこと

幸福だったこと

すべては時間

さよならまでも

それからも

こんにちはだって

久しぶりだって

永遠の時間

 

雪をまつ

雨をみる

土はみあげて

空はみおろす

ペンギン村からおはこんばんちは

右向いて左向いてばいちゃ、ばいちゃ。 

僕は今でも、ちいさいころ、夕方にやってたアラレちゃんの再放送を、熱心に見ていた風景を、思い出せます。 

ちいさいころ、ドクタースランプの単行本を、寝っ転がって読んでいた感覚を、おぼえております。 

それは当時はべつに意識していたか、そうでないかわからないけど、「めっちゃんこ好き」だったんですね。 

その「めっちゃんこ好き」は、とても原始的な気持ちで、根本的で本質的で、大切だと思っている。 

人間は、10歳くらいには大人になってしまう。大人になると、「本質」から離れる。 

それはもちろん悪いことではナイ。自立するには、いちど「本当のこと」から離れないといけない。 

逆にいうと、10歳くらいまでは、それに触れることができる。 

「10歳くらい」の時に触れたものが、思春期以降の人格を形成するのには、最も重要だと思う。それはわりと、一般的に言われることだ。 

で、そっから思春期にかけて、(オタクは)たくさんのものを吸収して、おおきくなっていく。 

でも、実はそれは「本質」みたいなこととは、直接の関係がない。 

10歳くらいのときから触れ始めるものは、実は「生きていくため」のものなのではないか、と、いま直観的に思いついた。 

どういうふうに生きていくのか、ということを、考えるための材料を、10歳くらいから集め始めるのだ。 

10歳くらいまでは、生きるとか生きていくとか、そういうこととはあんまり関係のない、もっとわけのわからないものを集めている。 

10歳くらいになると、もう、道ばたに落ちている硝子の破片を、拾わないかもしれない。クギなら拾うかもしれない。そんなイメージ。 

僕はアラレちゃんを、たぶん10歳よりちょっと前に見ていて、それを、わけもわからず好きでいた。 

(再放送の時期を特定したくて調べてみたけど、わからなかった。でも東海テレビでは鬼のように再放送されていたらしい。そりゃそうだよな〜。) 

ペンギン村に「生き方」はない。 

だからこそ、10歳より上になると、もうアラレちゃんがわからないのかもしれない。 

用無しになるのかもしれない。 

(注意してください、いまだいぶ、てきとうな、おもいつきを書いています。)

 

(ところで、ここでいう「10歳」というのが、かならずしも実年齢をさすものではないということも、書き添えておきます。)

 

ペンギン村には、「生きるために参考になるもの」などない。こじつければいくらでもあるのだろうが、そんな考え方はまちがっている!と思う。 

ペンギン村には、もっとはじまりのものがある。 

ドラゴンボールには、「生き方」があって、僕はあの漫画を、教育漫画だと思っている。本当に鳥山先生は、ひょっとしたら世界でも有数の、教育者なのかもしれない。 

でも、ドラゴンボールのそういう部分は、10歳くらいからわかりはじめることなんじゃないかな。 

アラレちゃんには、ペンギン村には、「生き方」ってのがないから、「教えてくれる」ものなど、なにもない。ただペンギン村というものがあって、それが、何かとてもすてきなものだ、というだけのこと。 

だから僕は、ドラゴンボールについて語ることはいくらでもできるけど、アラレちゃんについて語ったことは、ほとんどない。 

読み返すことも、実はほぼ、ない。すっっっごくむかしに、小学校の同級生に「かりぱく」されて、いちおう買い直したんだけど、14巻だけそろわなくて、「そろったら読み返そうかな」と思いつつ、もしかしたら十何年とか過ぎちゃって、だからぜんぜん読んでない。アニメも観てない。でも、最近アラレちゃんの話をしたり、アニメをちょっとみたり、まんがをぱらぱらしていると、もう、細部までほとんど全部、覚えていますね。何十回読んだか、わかんないからね。 

でも、それは正解だったんじゃないかな。頭でっかちな時期の自分が、アラレちゃんを読んでしまったら、へんなふうに語ってしまったかもしれないもんな。わからないけど。 

それに、べつに語ることが悪いことでもないけど。 

ペンギン村はずっと僕の中に、当たり前にあって、だからべつに読み返す必要もなかったんだよね。たぶんそれだけなんだね。 

ペンギン村は「材料」じゃなくて、もうそれ自体完成されたものだから、ほかのものと混ぜる必要もなくて、だから何もしなくて、よかったんだ。 

「どうやって生きていこう?」と考えるときに、ペンギン村はいらないの。もう、知っていることで、それは絶対に変わらないから。 

10歳よりも前から、「めっちゃんこ好き」だったから。 

だから、「ペンギン村のように生きていこう」は、思わない。 

「僕はペンギン村が好きだ!」だけがある。 

「生きていく」は大人の話。 

なんにも言葉にはできないけど、ペンギン村は、あって、好き。 

11ぴきのねこ』を読んだって、なんの「参考」にもならない。 

でも、そういうもの。 

僕はむずかしいことをめちゃくちゃ考えるし、言うけど、 

それは「生き方」に関することで、 

ペンギン村は、じつはあんまり、ちょくせつは関係ない。 

でも、ちょくせつじゃないところで、ペンギン村は、 

あるし、好き。 

だから、常に一番くらい、大事にしている。 

最近そう思う。 

アラレちゃんのことを考えると、10歳より前のことを思い出す。 

それは「懐かしい」ではないし、 

「子どもっていいな」「子どもの世界っていいな」でもない。 

「生き方について考えなくていい、あの時代はよかった」でもない。 

断じてない。 

ただその頃に、アラレちゃんを好きだった自分が、愛しいし、 

出会えたことを幸福に思うし、愛知に生まれてよかったし、 

家族にも感謝だし、 

やっぱりドクタースランプは好きな作品だ。 

論理と関係のないところに「根本」があって、 

それは「前提」よりもさらに基盤にある。 

そこにペンギン村がある。 

何が言いたいのかっていうと、 

こんな当たり前のことを忘れそうになることも、やっぱり年を取るとあるんだ、ってことです。 

いちばん大事なのは何か?と聞かれたら、それはいろいろ思いつくけれど、 

もしかしたらペンギン村なんじゃないの? 

って。 

そう思えることが、自分の人生の質を支えているんじゃナイノ? 

って。 

そうじゃない、「10歳より上のこと」ばかりを考えていると、頭がパンクしちゃうの。それが仕事みたいなもんだから、しかたないんだけど、 

でもやっぱり、ペンギン村を、絶対に忘れちゃダメだね。 

つらくなったり、間違ったこともしてしまうけど、 

ペンギン村が好きなのだ。 

欄干とボール

沈み込みながら頭に浮かぶのは

いつも決まった空気である

雰囲気というのか

夜中の乾いたコンクリートとか

何らかの水

地下鉄の壁から漏れる錆びた水だったり

川の水だったり

 

ギターの弾き語りもできるだけ

遠くで鳴ってるようなのだ

 

たくさんの豆電球が

色も決めずに

埋め尽くす

パチンコ玉が

あふれてくる 津波のように

押し寄せる

 

突き抜けるためには一丸とならねば

波は並である

フラダンス

そこに乗るサーフィン

飽きるべきである

 

圧倒的な槍を

大きく息を吸い込んで

うーんそれは手のひらでちいさな鞠を

コロコロ

平たい手すりに転がすように

どこまでも行きたくてまた戻る

飛ばせるが笑う

追いかけてもそれはそれで良い

過去になる

 

猫が体を伸ばすように

時間はそれだけ柔軟だ

目を閉じなくても浮かんでくるのは

乾いたコンクリートと水

決してそうでないこと

諦めないでいる

新しく始めるよりも

あの一手

お茶と魔法

退屈だと思って生きているのに

大きな魚が泳ぐ川のように

週末の

 

魔法

 

お茶をいれます

 

何がって

僕とは君のこと

立つ湯気はからっぽ

 

心の中のすべての記憶の

最もよい部分だけが

そこであつまって絡まって

一人の人間になっているようなこと

だから僕とは君のこと

 

永遠に減りそうもない湯飲みのお茶が

孤独そのもののように

美しさを引き立てて

ほんとうに

さみしい

 

週末

酔っては醒める

解ける魔法を見送る日

儚い君とは僕のこと

おとなしい愛

深い発熱

キリストのこと

愛するべきか

忘れるならば

偉大なる誰かと僕の思い出は

たぶん永遠にくり返されてゆく

 

夜のうちに

星は輝き終わって

広がる空がほしいまま

駅に向かう二人をとても小さく見せる

 

石はアスファルト

猫は前方に

公園は背景に

何もしなくても絶対に

 

酔うのは人の心でなくて

若い時代の記憶であって

酩酊するのは歴史のかけら

指先が震え

積めないピラミッド

いつかいつか

すっきりと風化して

三角になる

 

すらりと長く

美しい僕の身体を褒めて

 

おとなしい愛に

確かな不安

終わるとしたらきっと明日

あの味をそっと思いだすとき

火花と銅線

フライパンのように焼けこげたらしい新しい町で

生き生きと働いている人たち 流れる汗を拭きもせず

ひとつ前の戦争に勝利しようとしてる

 

すきまのない焼夷弾 逃げても無駄とわかってる

冷たい水があればみんな目を覚ますだろうか?

 

想い出を焚き木にして燃えさかる 新しい気持ち

何もかも忘れ去った人たち 流れる時の風を切り

ひとつ前の恋愛を実らせようとしてる

 

繰り返される幸福 意識がすっと遠ざかる

冷たい顔を見れば君は目を覚ますだろうか?

 

ひとつ前の人生をなぞり

恋をして

同じ神の声を何度でも聴こうとするけど

紫陽花の美しさとか

蟻の巣の深さとか

すべて異なる神の仕業なら?

 

永遠に同じ身の上に

積み重なっていく手触りは

猫の毛をなでるように

赤子の頬をなでるように

優しく生をなぞってくれる

輪郭線がつらなっていく

配線のようにつながっていく