散々だ

毎日こんなに幸福なのに

どうしてこんなにつらいのか

天国の生えた土の下

地獄が埋まってる


今日のあなたは優しいけれど

明日は誰にもわからない

わたしを殺して彼も殺して

一人で生きていく


頭のおかしい天気屋さんを

かついで涙の大盛り上がりを

張り切りすぎて町内のうわさ

魔界のしたたるみずしるべ


穴だらけ

柏木の罪深き

ヨロイをかなぐりすてるには

かなりの勇気とほどほどの器

木漏れ日の下で玄関を


ちらほらこまごまコリアンダー

ボーダーの忌引きは嘘まみれ

悲しくて死にたくなるけれど

やめられない


つぎつぎに崩れていく小学校

ついに僕らも廃校に

懐かしむ僕の微笑みをよそに

みんなニタニタ嘔吐


どうぞよろしく明日の準備を

毎日毎日ごくろうさん

目を舐める

ただ君を大切に思うので

その傷をずっとなめていたい

ちいさなあめ玉の心を

だんだんとかして飲み込んでいこう

 

血は苦手です

注射も嫌いです

林檎のように切り刻まれて

あふれ出るのは仕方ないのです

 

それを湖だとしてそこで泣く

桟橋に腰かけて山を見る

足は冷たく

頭には朝露が降りる

 

かすみが傷を包む

透明に美しくラッピングする

立ち止まっても踊ってるように

心臓は活発にうずく

 

流れていく

あるいは水玉のように

うたかたのように

シャボンのように

 

涙のように

僕らはお互い知らないうちに

つらい思いをそれぞれしていて

人を殴ったり腕を切ったり

 

言葉をどこかに書き綴ったり

お茶を飲むくらいで済むならいいのに

だから出会った時

もう僕は言った

 

君はどうだ? あれから少しは落ち着いたなら

ゆっくりまたえびせんべいでもかじりながら

金持ちの君んちのあの二階の応接室で

将棋でも指すような距離で向き合って

 

まだ何もなかった頃のように

これから何かがあるかのように

そうだ夏の日の畳のうえで

冷えた足だけを重ねていよう

 

愛しているのは君だけでなく

その時を

成り立たせていたすべてのものだ

そのくらい僕はあの瞬間が好きだったのだ

 

味のないあめ玉を少しずつ溶かす

それがあの時の君の肌の味であるならば

それが傷ついた君の心であるならば

それが抱きしめることと何も変わらないのなら

 

何もない口の中に君を浮かべる

ころころと考えてみる

少しもの悲しい香り

最も美しい天気は絶対に

 

あの日

僕は死にそうだ

コーラの色さえ疑わしくて

すべて嘘だと夜に叫ぶ

自転車で走れば僕の手も足も

風を切る頬もとても愛しくて

生きている!

みなぎる力に命を知るけど

それだって僕も手も足も空中に浮いているだけで

風を切る頬も何だって同じで

地球からすら見放されている

ほとんど孤独の証明のようで

だからやけくそに身体が内から

生きている! 生きている!

涙が口からあふれ出て落ちる

僕は死にそうだ

紗希

薄塩のポカリ

汗をかいたワイングラス

小さく泣く空の声

荒廃しきって誰にも会いたくない

 

くたびれた身体から疲労がなかなか抜けていかない

嘆く人々

足元に闇が沈殿する

 

仮眠室の女と

文通する

 

愛という場面をお手軽に

書き割りの前で記念写真

月の満ち欠けをストップウォッチで

ちょうどのところで子供を起こして

 

夕陽が落ちたら困るのだ

夜中に水は搾り取られる

昼間はただ部屋の中

警察も眠ってる

ようこそ

永遠

眠気と同じ

歩く星と足音の夜

愛した人の残像のスタンプ

LINEで送られてきます

変わっていることの心地よさ

 

降りてくる

梅雨どきを見はからう

そういえばもう生まれて何年

ようこそ

さよなら

ようこそ

ばいばい

 

暑い日も寒い日も

何かにつけて思い出し

苦くもなく甘くもない

いとしさ

時間を抱きしめているのです

 

辛かったこと

幸福だったこと

すべては時間

さよならまでも

それからも

こんにちはだって

久しぶりだって

永遠の時間

 

雪をまつ

雨をみる

土はみあげて

空はみおろす

ペンギン村からおはこんばんちは

右向いて左向いてばいちゃ、ばいちゃ。 

僕は今でも、ちいさいころ、夕方にやってたアラレちゃんの再放送を、熱心に見ていた風景を、思い出せます。 

ちいさいころ、ドクタースランプの単行本を、寝っ転がって読んでいた感覚を、おぼえております。 

それは当時はべつに意識していたか、そうでないかわからないけど、「めっちゃんこ好き」だったんですね。 

その「めっちゃんこ好き」は、とても原始的な気持ちで、根本的で本質的で、大切だと思っている。 

人間は、10歳くらいには大人になってしまう。大人になると、「本質」から離れる。 

それはもちろん悪いことではナイ。自立するには、いちど「本当のこと」から離れないといけない。 

逆にいうと、10歳くらいまでは、それに触れることができる。 

「10歳くらい」の時に触れたものが、思春期以降の人格を形成するのには、最も重要だと思う。それはわりと、一般的に言われることだ。 

で、そっから思春期にかけて、(オタクは)たくさんのものを吸収して、おおきくなっていく。 

でも、実はそれは「本質」みたいなこととは、直接の関係がない。 

10歳くらいのときから触れ始めるものは、実は「生きていくため」のものなのではないか、と、いま直観的に思いついた。 

どういうふうに生きていくのか、ということを、考えるための材料を、10歳くらいから集め始めるのだ。 

10歳くらいまでは、生きるとか生きていくとか、そういうこととはあんまり関係のない、もっとわけのわからないものを集めている。 

10歳くらいになると、もう、道ばたに落ちている硝子の破片を、拾わないかもしれない。クギなら拾うかもしれない。そんなイメージ。 

僕はアラレちゃんを、たぶん10歳よりちょっと前に見ていて、それを、わけもわからず好きでいた。 

(再放送の時期を特定したくて調べてみたけど、わからなかった。でも東海テレビでは鬼のように再放送されていたらしい。そりゃそうだよな〜。) 

ペンギン村に「生き方」はない。 

だからこそ、10歳より上になると、もうアラレちゃんがわからないのかもしれない。 

用無しになるのかもしれない。 

(注意してください、いまだいぶ、てきとうな、おもいつきを書いています。)

 

(ところで、ここでいう「10歳」というのが、かならずしも実年齢をさすものではないということも、書き添えておきます。)

 

ペンギン村には、「生きるために参考になるもの」などない。こじつければいくらでもあるのだろうが、そんな考え方はまちがっている!と思う。 

ペンギン村には、もっとはじまりのものがある。 

ドラゴンボールには、「生き方」があって、僕はあの漫画を、教育漫画だと思っている。本当に鳥山先生は、ひょっとしたら世界でも有数の、教育者なのかもしれない。 

でも、ドラゴンボールのそういう部分は、10歳くらいからわかりはじめることなんじゃないかな。 

アラレちゃんには、ペンギン村には、「生き方」ってのがないから、「教えてくれる」ものなど、なにもない。ただペンギン村というものがあって、それが、何かとてもすてきなものだ、というだけのこと。 

だから僕は、ドラゴンボールについて語ることはいくらでもできるけど、アラレちゃんについて語ったことは、ほとんどない。 

読み返すことも、実はほぼ、ない。すっっっごくむかしに、小学校の同級生に「かりぱく」されて、いちおう買い直したんだけど、14巻だけそろわなくて、「そろったら読み返そうかな」と思いつつ、もしかしたら十何年とか過ぎちゃって、だからぜんぜん読んでない。アニメも観てない。でも、最近アラレちゃんの話をしたり、アニメをちょっとみたり、まんがをぱらぱらしていると、もう、細部までほとんど全部、覚えていますね。何十回読んだか、わかんないからね。 

でも、それは正解だったんじゃないかな。頭でっかちな時期の自分が、アラレちゃんを読んでしまったら、へんなふうに語ってしまったかもしれないもんな。わからないけど。 

それに、べつに語ることが悪いことでもないけど。 

ペンギン村はずっと僕の中に、当たり前にあって、だからべつに読み返す必要もなかったんだよね。たぶんそれだけなんだね。 

ペンギン村は「材料」じゃなくて、もうそれ自体完成されたものだから、ほかのものと混ぜる必要もなくて、だから何もしなくて、よかったんだ。 

「どうやって生きていこう?」と考えるときに、ペンギン村はいらないの。もう、知っていることで、それは絶対に変わらないから。 

10歳よりも前から、「めっちゃんこ好き」だったから。 

だから、「ペンギン村のように生きていこう」は、思わない。 

「僕はペンギン村が好きだ!」だけがある。 

「生きていく」は大人の話。 

なんにも言葉にはできないけど、ペンギン村は、あって、好き。 

11ぴきのねこ』を読んだって、なんの「参考」にもならない。 

でも、そういうもの。 

僕はむずかしいことをめちゃくちゃ考えるし、言うけど、 

それは「生き方」に関することで、 

ペンギン村は、じつはあんまり、ちょくせつは関係ない。 

でも、ちょくせつじゃないところで、ペンギン村は、 

あるし、好き。 

だから、常に一番くらい、大事にしている。 

最近そう思う。 

アラレちゃんのことを考えると、10歳より前のことを思い出す。 

それは「懐かしい」ではないし、 

「子どもっていいな」「子どもの世界っていいな」でもない。 

「生き方について考えなくていい、あの時代はよかった」でもない。 

断じてない。 

ただその頃に、アラレちゃんを好きだった自分が、愛しいし、 

出会えたことを幸福に思うし、愛知に生まれてよかったし、 

家族にも感謝だし、 

やっぱりドクタースランプは好きな作品だ。 

論理と関係のないところに「根本」があって、 

それは「前提」よりもさらに基盤にある。 

そこにペンギン村がある。 

何が言いたいのかっていうと、 

こんな当たり前のことを忘れそうになることも、やっぱり年を取るとあるんだ、ってことです。 

いちばん大事なのは何か?と聞かれたら、それはいろいろ思いつくけれど、 

もしかしたらペンギン村なんじゃないの? 

って。 

そう思えることが、自分の人生の質を支えているんじゃナイノ? 

って。 

そうじゃない、「10歳より上のこと」ばかりを考えていると、頭がパンクしちゃうの。それが仕事みたいなもんだから、しかたないんだけど、 

でもやっぱり、ペンギン村を、絶対に忘れちゃダメだね。 

つらくなったり、間違ったこともしてしまうけど、 

ペンギン村が好きなのだ。 

欄干とボール

沈み込みながら頭に浮かぶのは

いつも決まった空気である

雰囲気というのか

夜中の乾いたコンクリートとか

何らかの水

地下鉄の壁から漏れる錆びた水だったり

川の水だったり

 

ギターの弾き語りもできるだけ

遠くで鳴ってるようなのだ

 

たくさんの豆電球が

色も決めずに

埋め尽くす

パチンコ玉が

あふれてくる 津波のように

押し寄せる

 

突き抜けるためには一丸とならねば

波は並である

フラダンス

そこに乗るサーフィン

飽きるべきである

 

圧倒的な槍を

大きく息を吸い込んで

うーんそれは手のひらでちいさな鞠を

コロコロ

平たい手すりに転がすように

どこまでも行きたくてまた戻る

飛ばせるが笑う

追いかけてもそれはそれで良い

過去になる

 

猫が体を伸ばすように

時間はそれだけ柔軟だ

目を閉じなくても浮かんでくるのは

乾いたコンクリートと水

決してそうでないこと

諦めないでいる

新しく始めるよりも

あの一手

お茶と魔法

退屈だと思って生きているのに

大きな魚が泳ぐ川のように

週末の

 

魔法

 

お茶をいれます

 

何がって

僕とは君のこと

立つ湯気はからっぽ

 

心の中のすべての記憶の

最もよい部分だけが

そこであつまって絡まって

一人の人間になっているようなこと

だから僕とは君のこと

 

永遠に減りそうもない湯飲みのお茶が

孤独そのもののように

美しさを引き立てて

ほんとうに

さみしい

 

週末

酔っては醒める

解ける魔法を見送る日

儚い君とは僕のこと

おとなしい愛

深い発熱

キリストのこと

愛するべきか

忘れるならば

偉大なる誰かと僕の思い出は

たぶん永遠にくり返されてゆく

 

夜のうちに

星は輝き終わって

広がる空がほしいまま

駅に向かう二人をとても小さく見せる

 

石はアスファルト

猫は前方に

公園は背景に

何もしなくても絶対に

 

酔うのは人の心でなくて

若い時代の記憶であって

酩酊するのは歴史のかけら

指先が震え

積めないピラミッド

いつかいつか

すっきりと風化して

三角になる

 

すらりと長く

美しい僕の身体を褒めて

 

おとなしい愛に

確かな不安

終わるとしたらきっと明日

あの味をそっと思いだすとき

火花と銅線

フライパンのように焼けこげたらしい新しい町で

生き生きと働いている人たち 流れる汗を拭きもせず

ひとつ前の戦争に勝利しようとしてる

 

すきまのない焼夷弾 逃げても無駄とわかってる

冷たい水があればみんな目を覚ますだろうか?

 

想い出を焚き木にして燃えさかる 新しい気持ち

何もかも忘れ去った人たち 流れる時の風を切り

ひとつ前の恋愛を実らせようとしてる

 

繰り返される幸福 意識がすっと遠ざかる

冷たい顔を見れば君は目を覚ますだろうか?

 

ひとつ前の人生をなぞり

恋をして

同じ神の声を何度でも聴こうとするけど

紫陽花の美しさとか

蟻の巣の深さとか

すべて異なる神の仕業なら?

 

永遠に同じ身の上に

積み重なっていく手触りは

猫の毛をなでるように

赤子の頬をなでるように

優しく生をなぞってくれる

輪郭線がつらなっていく

配線のようにつながっていく

子どもの匂いのする場所で

マスキングテープをはがすと

僕にあたらしい 君にかつての

想いがひらく

夕方に封をして 夜にひやされて

太陽で目を覚ます

 

閉じるための虹色にこめられた気持ち

爪は何色だったろう?

 

どんな言葉にも音があり

はじけてぶつかる

どんな贈り物にも色があるように

どんな心にも事情があって

賑やかにしたり

静かにしたり

 

火をとめて 散る熱が運ぶ香り

報せられて知ること

愛されて笑うこと

望むなら その匂いのある場所へ

 

大切なシールをはがすと

僕にあたらしい 君にかつての

時間がひらく

歩くならその声のするほうへ

 

子どもの匂いのある場所へ

酔う(あるいは麝香)

人がゆえ酔う

生きるから酔う

酔いに涙して

酔いに強くなる

 

いつか覚める酔いなら良いが

覚めぬまま腐る酔いもある

 

あなたが歩くその道は美しいか

酔いながら歩くその道は輝いているか

そんな質問にあなたは言う

「酔ってなんかいないわよ」

 

腐った酔いを身にまとい

あなたは言う

「この香り!」

あなたはそのまま倒れ込む

「わたしは酔った!」

「酔っている!」

そして笑うのだが

違う あなたは狂ってしまったのだ

 

人がゆえ酔う

それはいい

狂えば獣だ

覚めぬまま腐る酔いの中であなたは

いつの間にか獣の香りを身につけていく

それを麝香という

愛という部屋

どんな速度でも
どんな温度でも
愛という部屋で遊べますように

走るときも休むときも
同じポーズでいられるように
たのしいときもさみしいときも
同じ笑顔でいられるように

酔っているとき
その瞬間は爆発のように
好きという気持ちが溢れ出す
覚めたらどうなる?

シャボンが浮かんで飛ぶように
場面の光は揺らめいて往く
桜の花が散るように
美しく果てる

眺めているのが子供の役目なら
僕たち大人はなにをしたらいい?

遠く離れた恋人が僕のことを想う
愛しさが舞い降りる
これはどこからきたのかな
今からどこにいくのかな
どうしたらこれを
抱きしめられるの?

超空間の
愛という部屋は
目を閉じなくてもいつでもあって
移ろいながら続いていく
空っぽになっても唄い続ける
どんな事情でもそこで遊びたい
そしたら誰かが理解できるの?

それじゃまたあとで

うんそれでいいんだ。とても幸せだから。本当に包まれて僕はじつに心地がいい。嘘たちは困ったようにあたりを飛びはねている。

もうだいたいの機能は終わってる。だからゆっくりと閉じていくんだ。愛しているってそういうことだよ。

はじめとおわりをつかんでまぜよう。
順番なんざどうだっていい。
天の川のようにきらめいている。
それでいいんだね。
うんそれでいい。

(無題)

このところ週に2回くらい動悸と涙が止まらなくなる。

それ以外は死なないために浮かれている。

今頃は天に召されているのだろうか。

もう、急にやってくる。

わたしのものにはならないのだ。

数ヶ月か数年かのその永遠にわたしは狭間で苦しむだけなのだ。

鳥籠の中でうたいながら朽ちていくのだ。

浮かれながら。でも飛べないで。

誰も悪くないのはわかっているし、すべてが誰かの我儘でしかない。

わたしたちはカラフルな世界の中でたまたま色を背負うのである。ルーレットのようにそれは時折きめられる。

わたしはいま何色だろうか。灰色かうすい水色だ。まるでかわいた泥のようだ。

あなたは?

それがわかれば苦労はしない。

今頃は天に召されているのだ。

わたしは砂漠の真ん中でただ一人孤独に、目に見えない行列のずいぶん後ろの方に立たされている。

なにもわからない。それで週に2回くらいは、動悸が、涙が、止まらなくなる。

ゆっくり歩いて行くんだろうか。

このまま立ち尽くすのだろうか。

UFOが来て連れ去ってくれるか。

なにもわからないでただ、血をうねらして泣いている。とても静かに。誰もいない部屋で。すべての人類の幸せを祈って。わたしはそこに入れるのだろうか。いまだ半信半疑のままだ。

ああ、そうだ、すべての人類よ。

あなたがたはみなわたしの愛するあの人なのだ。同一のものだ。だから祝福を受けてくれ。そうでなければ、わたしはあまりにさみしいのだ。

助けてください。

この瞬間に星は砕け大陸は沈み海の水は裂けた大地にすべて呑み込まれます。

はじめは何気なくつけたろうそくの火なのです。あなたはあまりにもそれに上手に火をともした。いまでは焼き尽くす火焔となってわたしを足からあぶっています。こんな地球ではなかった。こんな土ではなかったのに。わたしは裸足で駆け回りたいのだ。

別に責めるつもりもないのです。それが宇宙というものですから。ただわたしは時折にだけ、週に2回くらいだけ、動悸と涙がとまらなくなるのです。あまりにもわたしは緑を愛しすぎました。そしてわたしたちは幸福すぎるのです。

静けさが怖い。音楽が止まってしまった。しかしうたえば死が近づく。

金縛りのようにわたしは祈り続けている。

こんなにつらいことはないのだ。

波にさらわれていく。

雨雲がやってくる。

遠くには幾つかの救急サイレンが輪唱のようにさわいでいる。

この夜は二度とない。だから恐ろしいのだ。明日にはもう、今宵は死す。

新しくもない毎日が積み重なっていく。

普通の日々が連なっていく。

わたしは永遠にこの行列の真ん中に立っているのだろうか。目に見えない行列の。そして泣き続ける。とても静かに。浮かれながら。うたいながら。やがて心臓は血によって破裂するだろう。